ウィリーの娘と17歳差の息子クン

ウィリアムズ症候群の娘と17歳差の息子を育てているハハのブログ。人生谷あり谷あり 谷ばかり也。でもハハは踏ん張る!

妊活休業?

排卵しそうなタイミングを計る事数ヶ月。
良い結果に繋がらず、泣き腫らす日々の私でした。

担当医師にやんわり、けど、切羽詰まった感じ…半べそになりかけながら話しました
。すると、私は恥ずかしいけど、もう辛くて話した事に対して、先生のプライベートも出して話して下さったのです。
もう、その対応に泣きそうでした。


で、お薬出しておきますね。
と…。
きっと、良い結果に繋がりますよ。
との言葉もかけて頂き、涙腺決壊寸前。


丁度、時を同じくして、大島美幸さんが妊活休業を宣言していました。

私も、2度目の流産や不育症の治療が始まる時に悩みました。
…仕事、辞めた方が良いのかな?
けど、辞めて赤ちゃんが無理だったら?
また復帰?
それに、収入がなくなるのは苦しい…。


普通に生活していたら、妊活休業なんて無理だ…。仕事を続けながら通院を続けました。

仕事後、病院に行って帰ると8時とかになり、しんどかったです。


薬を処方して頂き、タイミングが合った時
…。念願の妊娠反応が出ました!!
やった!
やっとだ!


まだ、胎嚢が確認出来ただけで、やっぱり不安が襲って来ます。

赤ちゃんが早くほしくて。
年齢的に時間がなかったので、何月に妊娠したら仕事が大変…等考える余裕はありませんでした。


結果として、最悪のタイミングで妊娠が叶ってしまったのです。



あぁ…。
また、今回もきっと無理…。
そう、絶望的になる程仕事が激務に突入するのです。


激務の仕事が全部片付いたタイミングで心拍確認の診察でした…。


激務とは…。
遠足→バス車内で後ろ向きに立ってバスレク担当。現地で大きな声でレクリエーション担当。遠足の場所は広〜い動物園。

遠足の翌日→職員の日帰り旅行。バスに片道4時間揺られて行く。この旅行をもう1人のスタッフと担当。また、バス車内で立ってバスレクも行う。目的地も歩いて散策する距離が長い。

職場が研修会場担当で、環境整備、遊びを立案、実践。大人数の見学者を迎えて、見学される中保育。


何てタイミング…。
自分の浅はかさを後悔しました。
けど、年齢的に余裕は全然なかった。
小さな小さな命の生命力を信じるしかありませんでした。


激務がひと段落して心拍確認の日。
待合室のソファーで待つ間から泣いてしまいそうでした。
今回も駄目だったら諦めよう。
今回も駄目だったら仕事続けられないかもしれないな…。
そんな色々を考えながら、順番を待ちます
。長い長い時間でした。

神様。
どうか、心拍が確認出来ますように。
お願いします。
お願いします。



順番が来ました。

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不育症の治療

血液の流れを良くする薬と漢方薬を飲み始めました。
そして注射に通院。


結婚して初めて妊娠した時に産婦人科を悩みました。娘を産んでから15年。
新しい産婦人科も増えています。
自宅から通いやすくて評判が良い産婦人科

娘を産んだ時に同級生や知人も出産ラッシュでした。
友人達から産婦人科の情報を色々聞いていました。病院選びは口コミと評判を確認した方が良いな、と感じたのです。


今は便利ですよね。
ネットでサクっと検索して、直ぐに評判の良い産婦人科がヒットしました。
HPを見てみても、良い雰囲気。
不妊症の治療もしていて、スタッフには培養士さんもいます。培養士、なんて初めて知る名前でした。

体外受精の相談についてのページや無痛分娩対応等。娘の時には知らなかった事が沢山。

で、食事がとても美味しそうでした。
一つ一つ丁寧に作ってる印象。
お祝い膳はフルコース!
綺麗な写真が載せられていました。


で、直感でここだ!と思い決めた産婦人科
。あ、後、娘が通う学校の通り道、というのもポイントでした。車で45分。


HP通り、綺麗な病院でした。
先生も優しく丁寧で。
院長先生ともう1人、先生は2人でした。
看護師さん達も皆さん優しく。


この産婦人科にして本当に良かったです。
不育症の治療が始まってもとても良くして頂きました。


服薬しながらタイミングを計る方法で、1日1日が大切でした。

そろそろ排卵が起きそうだから、子宮壁が厚くなる注射もしておきましょう。


で、タイミングをとるのですが、なかなか良い結果にならなくて。
1ヶ月、2ヶ月…。
3ヶ月目も駄目で…。

出勤前の夫を前に号泣してしまった事もありました。
また赤ちゃん無理だ…。
私には時間がないんだよ…。


排卵日を気にして、旦那と良い結果になる事ばかりで…。呆れてるかもしれないな。
こんなに迄して赤ちゃんが欲しいと思うのはどうなんだろう…。

色々な気持ちが頭をぐるぐる渦巻きます。
けど、赤ちゃんが欲しい思いは捨て切れませんでした。


どう伝えたら良いのか…産婦人科の先生に良い結果に繋がる事が出来ない…そんなニュアンスで話しました。
直接的に言うのは恥ずかしくて。

ですが、先生は私の思いをしっかり汲み取って下さり、親身になって話して下さりました。

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激しいパニック

今日、初めてと言っていい程のパニックになった娘。
私もあんなに激しいパニックで要求を訴える娘は初めて見ました。呆然…。


就労継続支援の事業所に通っている娘。
車で送迎をしてもらっています。
毎日、嫌と言わずに言っているので頑張り屋さんの娘。
体調を崩す事なく元気に通っています。


今日も変わらず元気に行きました。
夕方、いつもと同じように送って帰宅したのですが、傘を事業所に忘れたそうで。

傘がいる!
傘を取りに行く!
と、身体を震わせて訴えてパニック状態です。
家に入ったら弟もいるし、気分が変わり落ち着くかと思いました。

が、とんでもなく。

嫌!
傘取りに行くの!
傘ー!
傘がいるー!
傘取りに行くのーっ!!

身体をぶるぶる震わせて、外に行こうと凄い力で抵抗します。


これ程のパニックになる姿は初めてでした。息子もいるし…。取り敢えず家に入れようと思い声をかけてみますが、全然通じません。

鍵を開けて出ようとします。

歩いて行ける距離じゃないよ。
と伝えても、

傘がいるのー!
とパニックは続きます。


すると、帰ったと思っていた事業所の職員さんが、一緒に取って来ますね、と連れて行って下さりました。


あんなに激しいパニックを起こすなんて。

事業所にあるから、大丈夫、と言っても、通じませんでした。
持って行った傘が忘れてない事で落ち着かずパニックになったのでしょう。


この数年、こだわりが強くなっている気がします。
そして、理解力は低下している…。


改めて、娘が障がいの程度が知的に重度という事を実感しました。



激しいパニックの姉を見た息子も不安になり大号泣。
修羅場の夕方でした。


私もゲッソリ…。


その後、傘を取りに行き帰宅した娘は落ち着き普段通り。



やれやれ…。
そんな、今日の夕方でした。


娘は、染色体異常の稀少病院 ウィリアムズ症候群で、心身に発達遅滞があります。
知的には重度の障がい認定を受けています


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血液検査の結果

不妊症の原因があるのかもしれないとの事で、まずは血液検査を行いました。
これで原因が分かれば対応策を考える事が出来る。そう思って聞いた血液検査の結果は驚く内容でした。


抗核抗体の数値が高いね。
この数値が高い人は膠原病の因子を持っていてね。で、自分の細胞を攻撃してしまうという特徴があります。
その為、妊娠しても胎児を自分の細胞が攻撃して育たない。なので流産になるんですね。


治療ですが…O大学病院では可能なんだけど…。次回迄に治療法を調べて考えておきますね。次回、相談しましょう。
赤ちゃん欲しいなら、年齢的に時間がないからね。すぐ治療始めましょう。




もう、何が何やら…。
細胞を攻撃する?
何それ?
O大学病院で治療?
車で4時間の場所だよ…。
入院して治療?
仕事は?
娘は?


色々な事が頭をぐるぐると駆け巡ります。
考えてもどうにもならないので、考えるのをやめました。

ともあれ、原因が分かった事はホッとしました。
そこで考えた事は…。


娘はよく生まれてきたなぁ。
それで染色体に異常を来したのか…。


娘が生まれてくれた事の奇跡を改めて思いました。本当に生命力が強い子なんだなぁと感じました。




診察日。
先生から治療法を伺いました。


血液の流れを良くする薬を服薬。
子宮の状態を良くする漢方も出しますね。
で、排卵を誘発する注射と、黄体ホルモンを増やす注射をしていきましょう。
様子を見ながらタイミングを取っていきましょう。

後、貧血が酷いから、鉄剤の注射もして帰って下さい。


貧血って、体格に関係ないんですね(笑)
ぽっちゃり体型の私は貧血なんて考えてもなかった。


治療が始まりました。
この時、私は38歳。時間はありません。
焦っても仕方ないのですが、焦る自分がいました。
次の妊娠が最後…。
次も流産したら諦めよう。
これ以上流産を繰り返すのは無理だ…。
仕事も続けられないかもしれない。

そんな思いでした。
これが…精神的に辛い闘いでした。


私だけでなく、夫にも精神的に辛い思いを抱かせていたと思います。



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その頃娘は…

2度目の流産。
処置手術の為産婦人科に行く私。

春休みの娘は、デイサービスで近くの動物園に行く日でした。

前夜、流産の激しい腹痛と出血でうなっていた私を見ていた娘。大丈夫よ、と伝えていたが娘はかなり心配だったようで。
感受性豊かで敏感な娘。

動物園に行っている間中、不安定だったと担当の方から報告を受けました。


ー大変だったね。体調はどう?
娘ちゃん、お母さんの事を心配して大変 だったよ。お母さんが、産まれるの。産まれるのって、ずっと半べそでね。


…そっか。大変だったんだな…。


娘より先に帰宅していた私。
娘を迎え入れ、娘の様子を気にしつつ横になっていました。
落ち着いて横になっている私を見て、娘も安心したようで、娘も横になってやがて寝息を立て始めました。



私は…。
立て続けに2度の流産を経験して、心身共にボロボロでした。
ちょっと気を抜くと涙が溢れます。
泣くしかありませんでした。
2人の命をお腹で亡くしてしまった事は、想像以上の苦しみでした。


同時に、不妊症の治療も始める事にしました。先生も、何か原因があるのかもしれない。赤ちゃんを授かりたいのであれば、検査をしてみましょう、との事でした。

今回の手術では子宮壁に傷がつき、そこから出血がある、と言われていました。
この傷が、後に息子を妊娠してから大変な事になるのです。


どうにか1人、赤ちゃんを迎えたい。
その思いを遂げるには、精神的にかなり辛い日々が続くのでした。


金曜日に手術をして、土、日と休み月曜日から仕事に行きました。
小さい子どもと向き合うのは辛いんじゃないか?とも思いましたが、仕事が始まってしまえば辛い思いは忘れていました。

仕事に没頭出来たのは助かりました。
身体はやはりしんどい時間もあったので、横になれる時間には休ませてもらいながら
。流産は決して珍しい事ではないと、今回の事で知りました。職場の方達も親身になって心配して下さり、横になれる時に身体を休めてね、と気遣って頂いて。本当に助けて頂きました。


これ以降しばらく、血液を見るのが辛くなりました。肉類の血も目にすると辛くて。

血液検査の結果が出ました。
病院に行き先生から聞いた結果は、そんな事があるの⁉︎と思う内容でした。


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息子、足の指にイボが出来る

今日は息子を皮膚科受診して来ました。

足の親指、もう片方の足には人差し指に、イボが出来たので。

親指のイボに至っては、成長している風に見えるっ!

で、いざ病院へ!
以前行ってた皮膚科は先生が容赦なくビシビシ厳しい。
ので、新しい皮膚科へ。

こちらを選んで正解でした^_^
丁寧に穏やかな先生。
看護師さんも優しくてホッ。

スコープで拡大して見て。
液体窒素で焼いて治療を開始。
ヒンヤリしていたけれど、後から痛くなって来た様子。
治療中はへっちゃらだった息子でしたが、帰る道中、痛い痛いと繰り返し。


これは、今夜の入浴は一苦労かもしれないなー。
まだ、遅目の昼寝から起きない。
起こして夕食作らなくては!

今夜は寝るのが遅くなるの決定ー!


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それは まさに出産だった

※読むと辛い流産の内容表現があります。無理と思われる方はお控え下さい。※


定時で仕事を片付けて帰宅した私。

帰宅する僅かな時間にも、下腹部の違和感は痛みになって来ているのが分かりました
。帰宅するとすぐに横になって様子を見ました。


痛みが徐々に強くなっていきます。

痛い。痛い。イタタタっ!
足を擦り合わせながら、声に出して痛みと戦いました。

痛みは、やがて腰にも来ました。


痛みが来たら少ししたら遠のいて…。

それは、まさに陣痛でした。
程なくして、トイレに行きたい衝動にかられました。





仕事を定時で上がり帰宅してから始まった腹痛。痛みが落ち着いた時に時計を見ると
深夜0時を過ぎていました。
6時間、痛みと戦っていたんだ…。


全部…トイレに流してしまったよ…。
赤ちゃん…トイレに流しちゃった…。
ごめんなさい…。
ごめんなさい…。
本当にごめんなさい…。


それは、まさに出産そのものでした。
赤ちゃんが自ら、手術前にサヨナラをする選択をしたのでした。

痛みに耐え抜いた後、我が子に会える幸せがあるなら、私は陣痛を耐えられる。
そう、思いました。


けど、現実は赤ちゃんはもういません…。
クタクタになった私は、赤ちゃんごめんね
…と謝りながら、泣きながら眠りに引き込まれていきました。



目覚めると朝でした。
痛みと戦い、クタクタでそのまま寝てしまったのでシャワーを浴び、病院に行く支度をしました。


疲労感からフラフラしながら。
恐らく、貧血状態でもあったと思います。


丁度、娘は春休み。
デイサービスで、動物園に出掛ける日でした。娘の支度をどうにか手伝って。


娘より先に、病院に出掛けました。


デイサービスで動物園に行っている間、娘が大変だった事を後から知らされます。


昨夜、全部流れたから手術はしなくて済むかな。手術はしたくない…。
診察の結果、まだ少し子宮に残っているので予定通り手術をする事になりました。

前回の痛かった記憶がまだ新しく、不安でたまりませんでした。


今回、手術時間迄過ごしたのは、どうやら出産前の待機室のようでした。
部屋で横になって涙が溢れます。

そんな時、隣か、近くの部屋からその声は聞こえました。


はい!いきむよー!
頑張ってー!!


助産師さんの声の後に、いきむ声が続きます。

何度か繰り返した後、、、

オギャー!オギャ!オギャ!!



、、、赤ちゃんの産声だ…。
元気そう…。
良かったね…。


涙がとめどなく流れました。
布団を被り、声を上げて泣きました。

どうして、私は赤ちゃんを産む事が出来ないの…。


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